ねずさんの百人一首予告編

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百人一首は、全体の構造が「序破急」の順になっていて、だいたい24番歌くらいまでが歌の読み方と500年続いた平和の時代の始まりと構造に関する歌になっています。
その後、平和な時代というのがどういう時代かを象徴する歌が続き、75番歌からが、その時代が崩壊していくさまと、その崩壊をなんとかしてくい止めようとする人々の努力の歌になっています。

そうしたなかで、小野小町の歌は、百人一首の9番の収蔵です。
これは、百人一首に登場する女性としては持統天皇に次ぐ2番目の登場であり、藤原定家にとっての日本の女性のいわば理想的姿が、ここに描かれています。小名木善行著 P68「小野小町の美しさ」より

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日本を代表する絶世の美女▼
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日本三大美人といえば、衣通姫、小野小町、藤原道綱母のことで、またの呼び名を本朝三美人といいます。

三人のうち、年代的にもっとも古いのが衣通姫です。
五世紀の人で、時代でいったら古墳時代の女性です。
その美しさについて「記紀」には、「身体から発する光が衣を通して外に現れる」と記されています。
衣服を着ていても、まるで全身から光彩を放つように見えるほどですから、さぞかし美しかったのだろうと思います。

二番目に古いのが小野小町で、九世紀(平安前期)の女性です。
いまでも「あきたこまち」などの名前に使われたり、あるいは町内の美人のことを「◯◯小町」などと形容されるくらい、時代を超えて愛され続けている女性です。

三番目に古いのが藤原道綱母で、こちらは十世紀の女性です。
『蜻蛉日記』の著者でもあります。
情熱的な歌人で、清少納言の『枕草子』でも紹介されています。

三人とも古い時代の人だけに、肖像画はありません。
ないのに絶世の美女として紹介されています。

なかでも面白いのが小野小町ですが、そのまえに美人の基準についてお話ししたいと思います。

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昔の美人と、今の美人▼
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昔、学校で「天平美人」という言葉を習った方もいらっしゃると思います。
天平というのは奈良時代、つまり八世紀ですが、その頃から平安期にかけて、我が国では「引き目かぎ鼻」、つまり細目で鷲鼻(わしばな)の女性が美人とされていたというのです。

昔の絵画に、目が細くてかぎ鼻で、ふっくらした顔の女性が描かれているのを見たことがあると思います。
あれが「天平美人」の顔です。
現代人の感覚でいうと、あまり美人ではありません。
ということは、奈良・平安時代の男性は、現代とはまるで異なる美的感覚を持っていて、美人の基準も異なっていたということになります。

しかし、本当でしょうか?
絵画の世界では、引き目カギ鼻の天平美人が、古代日本の美人の基準だといいながら、同時代の彫刻は、奈良の大仏にしても、弥勒菩薩像にしても、あるいは阿修羅像にしても、現代人の目からみても、実に整った美しい顔立ちをしています。
これを見れば答えは明らかです。
引き目かぎ鼻が美人の基準だなどというのは、単なる思い込みか、一方的な決めつけでしかないということです。人間の美的感覚というのは、地域や時代が変わっても、そう大きく変化するものではありません。
世界中どこへ行っても、美人は美人です。
絵画でも彫刻でも、時代を超えて美しいものは美しいのです。
ならば人だって同じことで、美人は時代を超えても美人です。
現代美人は、古代や中世の世に行っても美人でしょうし、逆に古代や中世の美人が現代社会に蘇っても、やはり美人だと考えるのが普通というものです。
世界三大美女といわれるクレオパトラも楊貴妃もトロイのヘレネも、おそらくいまの世にいても美人でしょう。

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死後二百年もたってから最高の美女と讃えられる▼
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小野小町の出身地には諸説ありますが、秋田県が有力です。
秋田美人といえば、目鼻が大きく、顔立ちがくっきりしていることで知られています。
きっと小野小町は、現代人の感覚でみても、やはり美人だったことでしょう。

実は、小野小町が本朝三美人の一人に数えられるのは、外面的な美しさだけではありません。
その美しさには日本的な美学が関係しています。
その美学とは、いったいどのようなものなのか、順を追ってお話ししていきましょう。

小野小町という名前は本名ではありません。
本名は、これまた諸説ありますが、おそらくは吉子(よしこ)であったろうといわれています。
当時、代官位を持つ女性たちは、官位で呼ばれるのが慣例でした。
もっとも位の高い女性は、いうまでもなく天子様の正妻「皇后」です。
次いで中宮、妃、女御、更衣と続きます。
このうち「女御」までは、部屋が与えられました。
「更衣」は大部屋暮らしです。

「更衣」たちは大部屋の中を屛風や几帳などで三畳間ほどの空間に仕切り、そこを自分たちの部屋のようにしていました。
それなりにプライバシーが保たれていたわけです。
この仕切られた区画のことを「町」といいます。
現代の「□□市◯◯町」という町名も、実はこの平安時代の大部屋の「町」が由来です。

つまり、小野小町というのは、「小野家」から宮中にはいった女性で、身分は「更衣」であり、大部屋に屛風で小さな「町」をつくって暮らしていた女性ということになります。
小野小町は、多くの男性たちから恋文を送られたそうですから、たぐいまれな美人というだけでなく、教養にあふれた才女でもあったのでしょう。

ある日、そのたくさんの恋文を、自身で京の都の山科にある隨心院というお寺に埋めたのだそうで、この場所が小町文塚としていまでも残っています。
隨心院では、毎年三月に小野小町ゆかりの「はねず踊り」が行われています。

小野小町は、たくさんの歌を残していますが、なかでも有名なのが、『古今和歌集』に掲載され、「百人一首」にも選ばれている次の歌です。

花の色は移りにけりないたづらに
わが身よにふるながめせしまに

この歌の通解について、教科書や学者さんの書いた通釈本などをみると、たいてい「花は色褪せてしまった。私もいたずらに歳をとってしまったわ。花が春の長雨にうたれて散っていくように」というような意味だと書かれています。

「我が身、世に降る雨を眺めている間に」と詠んでいるため、小町晩年の作とされています。
一説には小野小町は92歳まで生きたといわれていますから、もしかしたら、お婆さんになってから詠んだ歌かもしれません。
要するに、昔は美人だった小野小町が、気がつけばいい年になっていて、容姿が衰えたと嘆いている歌だというのです。

でも、それっておかしくありませんか?
そんな愚痴が、どうして本朝三代美人の代表的な作品となるのでしょうか。
どうして「百人一首」に選ばれるほど素晴らしい歌、日本を代表する美女の歌とされたのでしょうか。

「百人一首」は、歴史に残る最高の歌人の中から、ある意図を持って最高の歌を集めたものです。
小野小町は、塚に埋めるほどラブレターをたくさんもらった人ですから、きっと見た目も美しい女性であったであろうとは想像に難くありません。
けれど当時はラブレターをもらう女性など、ほかにもたくさんいたわけで、何もそれだけでは小野小町が絶世の美女という理由にはなりません。

それにそもそも、小野小町が「美人」と讃えられ、その評価が定着したのは、彼女が亡くなって二百年もたってからのことです。「小倉百人一首」を撰じた天才歌人、藤原定家が小町の歌を通じて、彼女を「最高の美女」と讃えたのがきっかけです。
つまり藤原定家は、小野小町に実際に会ったわけでも、肖像画を見たわけでもなく、純粋に和歌を通じて、小町を「本邦第一の美人」としたわけです。

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いくつになっても燃えるような恋がしたい▼
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では、なぜ小町は「美しい女性」なのでしょうか。
実はここに、いかにも日本人らしい美学があります。

昔は映像も写真もなかったので、美しい景色や感動的な情景、そのときどきの風情などを伝えるのには、言葉を用いるしかありませんでした。
けれど、誰かを好きになった経験のある方なら分かっていただけると思いますが、本当の気持ちなんていうもは、なかなか言葉では言い尽くせないものです。

そこで古代の人たちが編み出したのが、和歌の手法です。
五七五七七という短い言葉の中に、絡む思いをぎゅっと押し込めるのです。
でも現実の問題として、百万言を費やしても伝えきれない感情を、どうやってこの短いなかで表現するかというと、それが「省く」という方法でした。

本当に言いたいことはグッと握って語らない。
あえて「語らない」ところを読み手に想像させ、そのイメージの膨らみが大きく豊かであればあるほど、良い歌とされてきたのです。

ということは、小野小町のこの歌が『古今和歌集』からさらに「百人一首」にまで引用され、多くの人々に愛された理由は、ただ表面上の通釈である、「私はおばさんになって色あせてしまったわ」ではなくて、もっと深いところに隠されていることになります。

実は、この歌の意味を解する手がかりは「花」にあります。
この時代、「花」といえば「桜」です。ここが大事です。

桜の花びらの色は変わりません。
桜は散るのです。

もちろん「色」というのは、別な意味では「カタチあるもの」を意味しますから、「花の色は移りにけりな」は、「桜の花は、色が変わらず散っていくものですわ」という意味でもあります。
そして、「わが身」「世に降る雨」「眺めている間に」と続きますから、桜の花が散っていく様子を描いていると読むことができます。

けれど、小野小町は、「桜が散った」とはどこにも書いていないのです。
つまり、「季節はめぐり、時も経ち、私も年を重ねたけれど、私、まだ散っていないわよ」と詠んでいるのです。

通解するとこうなります。
「降る雨を眺めている間にも、季節ごとにさまざまな花が咲いては散っていきます。咲く花ごとに、たくさんの恋が芽生えては消えてゆきます。私もいたずらに年を重ねてしまいましたが、雨が降っても、まだ散らないでいる桜と同じように、私もまだ咲いていますわ」

これって、小町が「また燃えるような恋をしたいわ」と言っているということです。
恋は、女性を美しく輝かせます。
恋するトキメキを忘れない小野小町は、いくつになっても、ういういしい心を持つ乙女であり、そんな彼女の思いが存分に表現されているのが、この歌だということです。

藤原定家が、この歌をもって、小野小町を天下第一の美女と称賛したのは、そういう理由だったのです。
小野小町の外見が美人だということではありません。
いくつになっても、心の若さや恋するトキメキを忘れない、そんな彼女の「心の美貌」を愛したのです。

心の美しさは、むしろ年を重ねることによって、ますます磨きがかかります。
そして恋する心やトキメキは、年齢にかかわらず女性を輝かせます。

そういう歌だからこそ、この歌が数ある名歌の中から、日本を代表する絶世の美女の歌として「百人一首」に選ばれ、千年以上の長きにわたって多くの人々に愛され続けたのです。全文

そこで今回は『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!」第二巻から、小野小町のご紹介をしてみたいと思います。

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